ねえねえ、ネカマって知ってる?
ネカマ?ネットオカマってこと?もちろん知ってるよ!
じゃあさ、ネカマの始まりってどこからだと思う???
うーん、ネットが盛んになってからとすると・・・・平成初期ごろ・・・?
ブッブー。平安時代でした〜
え?そんな前から!?ってそれってもしかして紀貫之の土佐日記のこと言ってるの??!
あら!知ってたのね!知らなかったら自慢してやろうと思ったのに〜
というか、ネカマではないでしょう。女のフリしてるから元祖とは言えるかもしれないけど・・・
土佐日記とは?
土佐日記とは平安時代の935年頃に紀貫之によって執筆されたものです。
その当時の日本は天皇親政から摂関政治へと移行し、
藤原氏による権力の独占が始まった頃となります。
土佐日記は日々起きたことが日記のような形で綴られており、
紀行文に似ていると言われています。
当時は男性用女性用に文字が分かれており、男性用は実用的な目的で漢文を使い、
出来事をメモする程度で、漢文は男性が公的な文章を書くためにつかわれていて、
個人的なことを記すのに向いていません。
一方女性用のもじは「女手(おんなで)」とよばれているひらがなでした。
男性も和歌などを書くときに使っていましたが、正式な表記は漢文でしたので滅多に使うことはありませんでした。
そこで紀貫之は型にはまった漢文の文章では微妙な心情を表現出来ないため女手を使い土佐日記を書くことにしました。
土佐日記のような自由な書き方に「文学」という新しい価値を物書きに与えることになりました。
土佐日記では紀貫之が土佐の守の任務を終え、京都に帰るまでの五十五日間の旅を記した旅日記です。
子供を亡くした悲しみなど、痛切な感情を表現するにもひらがなを使うことによって表現されています。
室町時代までは土佐日記の原本を見ることが出来たようですが、現在では所在が分からなくなってしったためありません。
しかし藤原定家らの写本が原典をそのまま写筆していることから、
『土佐日記』は原本の姿をほぼそのままに、今でも読むことができる貴重な一冊となっています。
女性のふりをして書いたことから、ネカマの元祖などとも言われるそうです・・・。
紀貫之とは?
65歳の元祖ネカマとも言われている紀貫之ですが女性のふりをして土佐日記を書くことで
後の文学の発展に大いに貢献していました。
紀貫之(きのつらゆき)
諸説ありますが、870年頃に生まれた下級貴族でした。
出身地は現在の京都、平安京です。
下級貴族に生まれた紀貫之ですが、政界での出世の見込みがなかったため、
歌人として道を開くことにしました。
約23歳の時に若くして寛平御時后宮歌合【かんぴょうのおんとききさいのみやのうたあわせ】
など大規模な歌合に参加しました。
その後醍醐天皇の命により作られることになった「古今和歌集」の選者の一人にまで上り詰めました。
さらに紀貫之は「古今和歌集仮名序」という序文を執筆するなど日本文学に影響を与えました。
歌人として超がつくほどの紀貫之でしたが、歌人だけでは食べていける事が出来ないので、
土佐守として土佐に赴任し歌人と土佐守をしていました。
その後も政界では生涯を通じて大きく出世することなく人生に幕を閉じました。
65歳のネカマ・・・・。
特設サイトにてかんたん解説公開中!
特設サイトでは、紀貫之についてや、土佐日記のかんたん解説などが見れちゃいます!
どんなお話かな〜と気になる方は要チェックです!
面白いから見てほしい。

honami

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