茶の本 あらすじ・ねたばれ・解説

おすすめオーディオブック

この間海外の友人と日本について話したんだけど、その友達の好きな言葉が「侘び寂び」だったの〜。海外の人って日本より日本の事詳しい
よね。

日本って四季もあって情緒も豊かだし、なんと言っても侍や武士も人気だしね。

でさ、なんでそんなに詳しいの?ってきいたら「茶の本」で学んだとか言いだすの。

茶の本か!なかなかいい本を読んで学んだんだね!

茶の本って何?

し、しらないのか。

今日は茶の本の解説をしますね!日本人に生まれたのなら一度は頭に入れていただきたい作品だから!というか、君は特に知っていたほうがいい!

お願い致します〜(ずずず)

茶の本あらすじ

そもそも茶の本って何なのさ。お茶について書かれた本なの?

西洋人に日本の文化や美意識を知らしめるために出版された作品。
新渡戸稲造の「武士道」とほぼ同じ時期(7年後)に英語で出版され
世界中で今も読み継がれている、日本文化の啓蒙書です。
この作品は元々は日本人向けではなく、
ボストン美術館で東洋美術収集の仕事をしている際に欧米、
西洋人に日本の文化や美意識を知ってもらうため、明治39年にニューヨークで英文出版されました。
発売後すぐにスウェーデン、ドイツ、フランス、スペインなど13カ国で翻訳されています。

新渡戸稲造の「武士道」によって日本人の「戦闘的精神」が目立ってしまったことに
岡倉覚三は違和感を持ち、「平和的」文化である「茶」にこそ日本の神髄があることを主張しました。

そして、「茶の本」という題名ですが、茶道の具体的な歴史や作法ではなく、背景となる思想に注目しています。
茶道を通して、日本文化は西洋文化に比べ劣っているものでは無く、
西洋人が学ぶべき点も多いというという強い想いの伝わってくる作品です。

確かに武士道は美しい強さってイメージある。

茶の本の根本は「禅」と「道教」からなっている

「茶道」の思想的背景と「禅」の深いつながりを指摘されますが、
そのルーツは実は「道教」が潜んでいます。
茶の本に出てくる「禅」と「道教」について特設サイトで詳しく解説しています。

「道教」とは
中国三大宗教の1つであり中国古代の民間信仰、
神仙説に道家の思考などが加わった中国の宗教です。

中国三大宗教の概念の違い
「道教」、「儒教」、「仏教」とありますが、概念の違いについて特設サイトでまとめました。

特設サイトにて「道教」「儒教」「仏教」について解説していますので是非見に来てね!

日本お茶の始まり

お茶の始まり
日本にお茶がもたらされたのは805年に最澄が中国留学から帰国した際に持ち帰って来たのが始まりです。
この頃は主に輸入しており、天皇や貴族達が飲んでいた高級品でした。
後の1191年に日本臨済宗の祖、栄西が中国に留学に行き、
帰りにお茶の種子と苗木を道帰りお茶の栽培が日本で開始されました。
当時お茶の存在は心臓を強くすし、眠気を覚ます薬として修行の手助けになると言われていました。

千利休の登場と茶会
戦国時代末期から安土桃山時代の豪商で茶人、さらには
茶の湯(茶道・わび茶)の完成者として知られていて、
茶聖と讃えられている千利休。

利休は千宗易ともいって大坂堺の商人でもあり裕福な家庭で育ちました。
そして若い時から茶の湯に親しんでいました。
後に堺の南宗寺という立派なお寺に通って禅を学び京都の大徳寺でも学びます。

この時代ももちろんお茶は贅沢品でした。
美を表現する茶室や茶道具、作法を一体とする茶の湯の世界を大成し、
織田信長が堺を直轄地にした時に信長の茶頭にえらばれました。
茶会を開くことはとてもとても名誉なことでした。
織田信長は茶会を許可制にし、臣下に茶器を与えて褒美にしました。
天下一の茶の宗匠と言われていたそうです。

そして時代は安土桃山時代にはいります。
外国・ヨーロッパの文化が入って来ると、経済的な成長により
豪華な茶の湯が流行り出しました。
この頃になると派手好きな豊臣秀吉の黄金の茶室などが有名でしたが、
利休は薄暗い、小さな小屋を作り、簡素簡略な茶の湯(侘び茶)の道を極めて行きます。
これは物事を簡単に考える「禅」が影響しています。

利休の作った小さな素朴な小屋はとても狭く、「四畳半」という
概念もここから来たと言われています。

狭い茶室で身分の上下無く「もてなす側」、「もてなされる側」にわかれ、
たわいもない話を楽しみました。

この後茶道はされに発展し、茶室の周りの手入れ、
花の活け方、掛け軸のかけ方なども同時に茶道の一環として発展しました。
元々はお客様をもてなす簡単な料理だった懐石料理も発展していき、今では贅沢で高価になりました。

お茶の歴史っておもってたより長い!

茶の本を書いた作者岡倉覚三

1963年、江戸時代末期に生まれ、明治時代に活躍した美術家。
貿易商の父の影響で幼い頃から英語を学んでいた。
明治時代は文明開化の影響で、西洋の文化やものは新しいものとされ、
その一方それ以前の日本のものは古くさく遅れていると嫌われていく傾向にありました。
芸術分野も例に漏れず、洋画や洋風な作品がもてはやされ、日本の絵画などが否定されていきました。
そしてこの流れを止めたのが岡倉覚三でした。
岡倉覚三は伝統的な日本の芸術の価値を多くの人に再認識して貰うために活動をはじめました。
現在の「東京藝術大学」の前身となる「東京美術学校」を設立、公募による日本画展示会の「日本美術院」を設立するなど、
現代にも続く活動と、海外へ日本の美術の素晴らしさをアピールする活動などを行い、
50年という短い人生の中で、日本画や茶の湯などいくつもの伝統芸能を守りました。

東京藝術大学を創った人・・・。恐ろしく美意識が高そう・・・。

特設サイトにて詳細は公開中!

特設サイトにて、詳細を公開しています!ブログでは語りきれなかった事が書いてありますので是非遊びに来てください!

茶の本聴き終わったら友人と茶の本について語り合おうっと!

The following two tabs change content below.
honami

honami

ウェブ担当の丸山です。 ブログの投稿やLP作成、CDジャケットなどやっております。 食べることが好きで、最近はタピオカという俗物に太らされました。 絵を描くことや、物を作ることが好きです。 分からないこと、聞きたいこと、おすすめのオーディオブックが知りたいなど、なんでもお気軽にお問い合わせください★

コメント

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。